【OOSHITA’s BLOG】

展示場巡りの中で最後に入ったのが、木造注文住宅の雄、SR社でした。

私たちが持っていたSR社のイメージは、大人っぽくて高級感があるのが良い点!
でも本当に高いのが悪い点…

A社に勝るとも劣らない値段だと聞いていましたが、建てられなくても参考になる部分はありそうだということで行ってみることにしました。

展示場に行く前に、まずはSR社についてリサーチ。
すると社史が面白かったので、ちょっとご紹介します。
(ネット情報を鵜呑みにして書いているので、正確性は保証できません)

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ハウスメーカーとしてはそれほど古くないSR社ですが、会社自体の歴史はすごいです。
なにしろSR社の起源となったS財閥は、世界最古の財閥。

その始祖は、もともとは室町時代に足利将軍家に仕えていた武家でした。
ところが後に出家し、さらに商人へと転身します。

それだけならちょっと裕福な商売人で終わったでしょう。
でも、その後マンガみたいな展開が待っていました。

江戸時代が始まる頃、明の国から日本にやってきた白水なる人物が、S家に「南蛮吹き」という技術を伝授。
これは粗銅から銀を分離する精錬法であり、当時の日本には無かった技術でした。

S家はこれをシッカリ独り占め。誰に聞かれても笑ってごまかし、一族の秘伝としてこっそり受け継いで莫大な富を得ます。
「南蛮吹き」は、まさに錬金術だったわけですね。

ちなみにS家が銅商として名乗った「泉屋」の家号は、白水の名を合成して「泉」としたのだという説もあるそうです。なるほどね。

こうして富を築いたわけですが、S家のラッキーっぷりはそれだけに止まりません。

白水との出会いから100年後、今の愛媛県で、「切り上り長兵衛」なる坑夫が銅鉱脈を発見しました。
長兵衛はこれをS家に情報提供。「ここ掘れワンワン」です。

結果、S家はこの銅山もガッツリ独り占めして、それから実に282年もの間、1社単独でひたすら銅採掘を続けました。
これが結果的にとてつもない量の銅を産出し、日本の貿易や近代化にも寄与することとなった別子銅山。

当然、S家の潤いっぷりは凄まじく、気がつけば戦前の3大財閥の一つ、S財閥が出来上がっていたそうです。

そして、S財閥はこの銅山の備林から木材を調達し、薪炭などとして使いました。
この備林の管理経営が、SR社の始まりというわけです。

いいですね、何かロマンがありますね。
ウチにも長兵衛こないかな、油田バージョンで。

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そして、この話にはもう少し続きがあります。

明治時代、別子銅山では煙害の問題が深刻化し、一般の農民がS財閥に直訴するほどになりました。

当時の社会を想像すると、財閥様は農民なんかの言うことは屁とも思わず切り捨てた…かと思いきや、S財閥はこの問題に真摯に対応し、解決に努めたそうです。

また、銅山近辺の樹木が刈り尽くされ、土地が荒れ果てるという問題もありました。

こういった状況に対し、当時の別子銅山支配人・伊庭貞剛は
「国土の恩恵を受けて事業を行う以上、その事業によって国土を荒廃させたままにはできない」
という考えを示します。硬派な漢ですね。

そして、別子銅山を「あをあをとした姿に返さねばならぬ」として、すっごい規模の植樹を敢行。
多いときには(別子銅山以外も含め)年間100万本以上を植えたそうです。

その結果、周辺は緑を取り戻し、次世代につながる自然環境が保たれました。

こういったS財閥の対応は、CSR(企業の社会責任)活動の先駆けとして高く評価されているとのこと。

そして伊庭氏が行ったという大規模な植林は、今のSR社にもつながっています。

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現在、SR社は他を寄せ付けない広大な自社林を保有。
これにより、国産木材をふんだんに使った家づくりを実現し、木造住宅メーカーの中でも上質で高級な家を作るイメージを確立しています。
そのルーツを辿れば、前述の大規模植樹活動があるというわけですね。

SR社自身も自社の歴史に誇りを持っているようで、今も伊庭魂を受け継ぎ、環境事業に力を入れているようです。
硬派な伊庭氏が生きてたら、きっと目から汗を流して喜ぶでしょうね。

でも、
歴史があるというだけで建築依頼はできません。

大事なのは今、どんな家をいくらくらいで建ててくれるのか。
そして、引渡しまでではなく その後も含め、どんなお付き合いができるのか。

それを少しでも知るため、私たちは岐阜県庁前展示場に向かいました。