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生い立ちストーリー

株式会社 森住建 代表取締役

1. 建築とはかけ離れた学生時代

実家は1887年(明治20年)から創業している大工一家。
そんな職人に囲まれて育った私ですが、実のところさほど建築という仕事に
興味はありませんでした。
高校進学も、最初は建築科へ進もうかと悩みましたが、結局普通科へ進学。
その頃から、自分は何をやりたいのだろう?と疑問を抱くようになりました。 
 
そして、高校卒業後の進学について親に相談した際、浪人してでも地元の国公立の大学へ行けと言われました。
私は、親の言いなりになって進路を決めたくないという気持ちから、京都の大学を受験し、夜間学部に通うことにしました。親の反対を押し切って京都の大学への進学を決めた以上、親元を離れるほかありませんでした。
そして、親元を離れ単身京都での暮らしがスタートしたわけです。 
 
しかし、親に口答えして決めた進学だったため、当然仕送りはありません。
学費も生活費も自分でアルバイトを稼がなくてはなりませんが、世の中そんなに甘くはありませんでした。
働き口が無く困っている時、友人の誘いで自衛隊入団説明会に参加したんです。その時に出会った担当者が偶然にも、自分の通う大学の出身者だったのです。
その担当者に昼間は自衛隊で訓練し、夜は大学へ通ってはどうか?と誘われ、自衛隊へ入団。昼間に訓練しながら夜は大学へ通うという多忙な日々を過ごしていました。

大学4年生を終えた頃、私は有名人がよく訪れる湯豆腐屋でアルバイトをしていました。
高校球児だった私は、頭の片隅にプロ野球選手になりたいという夢を密かに持っていたのです。
そんなある日、読売ジャイアンツの「正力オーナー」が来店したのです。
接客の際、正力オーナーから「君は学生さんか?」と尋ねられ、「はい、このあいだ巨人軍の最終テストで滑ってしまいました」と答えたところ、「お前、本当に巨人軍にはいりたいのか?」と聞かれたのです。
その瞬間、私はとっさに答えられませんでした。黙っていると正力オーナーは「本当に入りたい奴は即座に答えるはずだ。
答えられないのはお前が本当になりたいと思っていないからだ」と言われ、その瞬間に自分にはなりたいものが無いことに気づいたのです。

2. 就職先の社長の一言をきっかけに東京で事業展開

そして、明確な人生のシナリオができないまま大学を卒業し、何かをしたいわけでもなく、普通のサラリーマンになりました。そして、1年が過ぎたある日、知人に紹介され転職ををしました。
そこの社長は面白い方で、「僕はどんな仕事をすればよいでしょうか?」と尋ねると、「自分で考えたら。なんでもいいよ」と言ったんです。
入社して間もない私が考えたのは、道路切断工事部隊のフランチャイズでした。カッター工事会社を運営するためのマニュアルを必死で作り、フランチャイズを呼びかけたところ、同僚の一人が独立して工事会社を始めたのです。これは上手くいく!と読んだ私は、フランチャイジーとなって東京での事業展開を決意したのです。これが私の人生を変える転機となりました。 
 
1989年に先輩社員と2人で300万円ずつ出し合い、道路の穴あけをメインとする有限会社を設立しました。その頃、結婚したばかりの私には明るい未来しか見えていませんでした。
「一生懸命仕事して、楽しい家庭を築こう。そのためにまずは東京で頑張ろう!」そう強い熱意を持って、妻と家族を残し単身東京へ向かったのです。
東京には知り合いもいなければ、仕事を頼れるところもありません。来る日も来る日も飛び込み営業をし、下請けの仕事をもらうことがやっとでした。下請けの仕事は、とにかくもらった仕事を文句も言わずにひたすら我慢して頑張る。
これしかありません。やがて、必死に頑張る自分たちの努力は身を結び、徐々に仕事が増えてきました。
最初2万5000円の仕事からスタートして月500万円売り上げる会社へと成長していったのです。
順調に見えた経営ですが、5年を迎えた時、3000万円の不渡りが2度も起こり、会社は大きな借金を抱えてしまったのです。当時、妻が3人目の子供を身ごもっていたこともあり岐阜へ戻ることにしました。

3. 故郷へ戻り家業である大工に転身

1993年8月。故郷である岐阜県へ戻った私は、何か商売をやろうと考えておりました。まずは事業資金が必要だと、地元の商工会に3000万円の融資を申し込みますが、東京で事業を失敗した時の借金があったために断られてしまいました。
自分で商売もできず、どうしたら良いか悩んでいるとき、大工職人をしていた父親が「仕事が見つかるまで手伝いに来い」と言ってくれました。
この出来事をきっかけに私は大工の道を歩み始めたのです。
しかし、もともと建築には関心が無かったため、手伝いはじめた当初は建築のおもしろさが見えなかったのが正直な所です。その後大工の仕事を続けて行くうちに、いつしか仕事を楽しむようになっていたんです。私自身「こんなに関心が芽生えるとは...」と少し驚きました。 
 
大工の世界は30年大工をしていても"にわか大工"と言われるほど厳しい世界です。30歳から大工を始める私は、どう頑張っても10代から職人をやっている大工にはかないません。ただ、かなわないとはわかっていても悔しい気持ちでいっぱいでした。技術はかなわなくとも、知識では同じくらいの知識を持とう。そう思った私は、大工用の本を読みあさり、勉強に明け暮れました。
そうして勉強しているうちに、どんどん大工という仕事の魅力に引き込まれて行ったのです。
その結果、34歳の時に2級建築士に合格したのです。
そして35歳の時には、父親と離れて別の現場で仕事するようになりました。

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